
|
〔症例3〕
生きたいという願いと告知
聖路加国際病院佐籐、牛坂、北原
●U.I.、29歳、男性、胃癌(胃全摘術後)、癌性腹膜炎、SBO
経過
4年前に他院で胃癌と診断され胃全摘術施行。1996年4月より癌性腹膜炎とSB0を発症し、入退院を繰り返すようになる。通院していた病院が自宅から遠かったことと、8人部屋という環境に不満だったこと、なかなか病状が快方に向かわないことなどの理由で転院を希望し、当院を紹介されて、96年10月29日に当院に入院となる。すでにかなり病状は進行した状態で、衰弱が激しかった。11月29日、入院後1ヵ月で亡くなられた。モルヒネの静注により最期は安らかで、死亡数時間前まで意識があり、家族に手を取られて息を引きとった。
この症状は告知されておらず、本人へは「胃潰瘍で手術を行った。術後の癒着と炎症による腸閉塞と腹膜炎、その腹膜炎による腹水の貯留」と説明されており、患者は「治りたい。どうして治らないんだろう。治してほしい」という強い気持ちを抱き、一方で「本当に治るのか?本当のことを教えてよ」と時折疑う気持ちももらしつつ、「治ろう」と元来の頑張りやの気性で本当に頑張って日々を過ごし、ADLを保っていた。告知について医療者間および家族も交えて話し合い、もはや予後が数週間の単位であろうと予測される中で、告知することのメリットは少ないだろうとの考えで病名告知はしなかった。その後、主治医が本人に質問されたある日、「あと完治までには2年はかかる。それも確実かどうかわからない」と話し、その頃から患者は「もう疲れた」と言うようになり、「普通の生活がしたい」と強く望みはじめて、外泊を繰り返すようになった。自宅では、Aポートからの点滴をはずし、彼なりの普通の生活をして、不安になったり、何らかの症状が出ると昼夜を分かたず帰院するという状況で、死の前々日まで自宅への外泊がつづけられた。その外泊を不安な気持ちを抱きつつも支えたのは看護婦である母親であった。外泊の中で彼なりに父親との和解をしたり、家族関係はよい方向へ変化していったようであった。
告知についてこの症状から考えたこと
1. 再発の時点で告げられることがよかったであろうと思われるのだが、病名病状の真実を告げていたら、「治りたい、治してほしい」という患者の強い気持ちは、余生を彼なりの方法で充実して生きることへ向けられたのではないかと思う。
2.予後数週間であろうと予測される中で、本人の希望に従って告げるべきだうたのかどうか。
?告知されてから、それを受け止め、受け入れ、乗り越える期間が必要と思われるがどうだろうか。
?告げることによって失望したとしても、ああそうだったのかと思って、真実を知ったことで安らぎを得られただろうか。
この症例については、最後のほうには、患者が患者自身のコントロール感覚を取り戻して、自分の思ったように日々過ごせたのではないかと思っている。しかし「治りたい」という気持ちは変わらず、次の転院を考えたりしていたようである。
症例コントロールについて
患者はSBOのため、水分を摂取しては嘔吐するということを繰り返していた。NGチューブの挿入は違和感が強く、継続的な留置は拒否していれまた頻回な嘔吐のために咽頭痛が出現してそれがなかなかコントロールできなかった。こういう症例について、緩和ケア目的での胃瘻の造設については聞いたことがあるが、胃全摘後の除圧の方法は何かあるだろうか。
−こういう方に食べなくてもいいということをお話しし説得することはできないものでしょうか。〔症例1〕もそうなのですが、食べるとこうなるのだから止めなさいというのもひとつの医療だと思うのですが。
発表者 他院から来たので私たちがっきあったのは1カ月なのですが、ここの病院に来てこ飯が出るのがとても嬉しかった、普通の生活がしたいというのが彼の気持ちだったので、あえて止めなかったということです。
−それをすることによって失うものも教えたのですか。
前ページ 目次へ 次ページ
|

|